沿革

繋がれる熱き想い

初代~10代目会長の活動

昭和37年初代会長に表 昌司が選ばれ研究会の記念すべきスタートをきり、今日までのユニークな運営方針が決定される。

初代会長:表 昌司

経営者としての自覚を促す研修、勉強会を実施する

2代目会長:寺川 典夫

会の機能改革に努め、マンネリ化の進む運営を革新的にとりまとめた

3代目会長:小野 一男

旭川市の商業実態について地元商工会議所と討論会を行う。

4代目会長:松本 正次 

輪西の若者と、共通の問題点を共に考えるという事に的を絞り討論会を行う

5代目会長:水上 正宏

市民踊りを輪西連合町会から意を受け当会が主管することを決定。

6代目会長:松本 輝明

会議で結論を出さない、酒類を出さないを打ち破った会長として名高い。初の海外研修実施。

7代目会長:木村 一郎

北海道道路開発計画と将来の室蘭市の予想等、エネルギッシュな討論を行う。

8代目会長:谷藤 雄一

輪酉商店街診断の数字的根拠をもとに今後の輪西商店街を指摘する。

9代目会長:板垣 道男

創立10周年記念式典を輪酉連合町会会館にて盛大に祝う。

10代目会長:山口 秀雄

11~20代目会長の活動

強行軍の釧路·根室への研修旅行。

11代目会長:平井 健治

旭川研修旅行でカルチャーショックを受け、今後の輪西を多いに語り合う

12代目会長:石田 実

アメリカ研修旅行。毎月2回街の清掃を行ない、室蘭市とボランティア団体より表彰を受ける。

13代目会長:日浅 透

銀行側からみた商店街、座禅と僧侶の説教を聞く会など、ユニークな研修。

14代目会長:入江 勉人

「税務調査と会社経営」、「今後の景気動向と倒産の実態」など様々な角度から経営学を研修。

15代目会長:前田 康博

「男性着付け教室」、「外人美女と話そう英会話」、等ユニークな側面から会の運営を行う。

16代目会長:村本 百喜

「輪西に再び繁栄の時が来るのか」大討論会を開催する。スキーツアー、八戸へフェリーでの研修旅行。

17代目会長:荒井 孝亘

室蘭市市長、室工大教授を招いての勉強会、中央町・中島商店街の青年部との意見交換など知名度を高める活動を行う。

18代目会長:平 武彦

会の運営は、全会員が自覚を持ってその任につかなければならない、を作り上げる。

19代目会長:土田 昌司郎

大きなターニングポイントとなる20周年、その重責を担い式典を成功に導く。

20代目会長:中島 邦夫

21~30代目会長の活動

会市議・道義との懇談会、選挙戦への参加、スキーレク・釣り大会など幅広い活動を展開。

21代目会長:横山 

市民踊り時のビール祭り開催、第1回砂まつり参加など、研究会に新風を吹き込む。

22代目会長:安倍 聡

地域のこと、イベントのことなど本音のぶつけあいを、酒を飲みながら活発に行う。

23代目会長:寄木 清二

廃止の決まった胆振線で行く札幌への研修旅行。すすきのの夜が忘れられない。

24代目会長:坂本 政治

高校総体、社会人大会、はまなす国体と、全国規模のサッカー大会が続くことになる年。研究会も積極的にサッカーをPR。

25代目会長:日沼 勉

物事を強引にすすめた自己中心的な会長。個性派ぞろいの研究会をひとつにまとめる。

26代目会長:菅原 宣明

800キロの御輿を24人で担いだ「室蘭八幡神社祭典」。国体参加選手への鳴り砂プレゼント。「輪西神社祭典」での初の露店出店。

27代目会長:小林 正樹

飲み会~講師例会~飲み会~歩行者天国~飲み会~研修旅行=飲み会~飲み会…。

28代目会長:伊藤 憲

集金力のある会長。その手腕を発揮し、研究会史上最大規模のパーティーを成功させた。

29代目会長:西尾 英司

研究会全員が一丸となり前年度から準備を重ね、輪西ニュージャパンで30周年記念式典を開催。

30代目会長:中島 英一

31~40代目会長の活動

この後長きに渡って参加することになる、国際雪合戦に初めて出場。

31代目会長:志賀 敬二

サッカーに、バレーボールに、と体力勝負の1年

32代目会長:池野 弘明

耳鼻科医の國本氏に戦艦大和の話を聞くなど、知見を広めた。

33代目会長:根津 澄人

輪西中核施設構想がスタートする中、研究会は従来通りの活動を全うす。

34代目会長:松永 英樹

35周年事業として沖縄へ研修旅行。金武町商工会青年部と交流。

35代目会長:石田 佳久

神輿を一新して臨んだねりこみで初の準優勝。

36代目会長:塩沢 尚志

雪合載のエースが会長となり、決勝トーナメント進出へ向け例年以上に熱が入る。

37代目会長:二井田 誠

雪合戦で交流のあるオロフレチームが、有珠山噴火にも負けずに祭りに出店。

38代目会長:沼尾 吉紀

任期終了目前、会長を襲った複雑骨折の悪夢。

39代目会長:板垣 秀人

夏のイベントを終えると、40周年記念事業完遂へ汗と涙の日々。

40代目会長:入江 克己

41~50代目会長の活動

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41代目会長:日浅 健

20数年前の秋のある日、敬愛する先輩である板垣さんに当時お勤めをしていたにもかかわらず研究会に入らないかと言われ、とりあえず、30周年後の研究会主催のクリスマスパーティーに行きました。行ってみれば、会員の皆さんが白鳥の湖の衣装を着て踊っている姿を見て何の経営の研究をしている会なのか、さっぱりわからず帰宅した覚えがあります。その後、不思議と板垣さんが会長になった年の3月末に実家の家業を継ぐことになりました。

 その2年後の2003年の3月に41代目の会長を拝命することになり、1年の任期の間に何が出来るのか?何をしたいのか?必死にひと月の間考えていた記憶があります。あっという間に7月の祭りの時期が過ぎ、8月を迎え10月の研修旅行の準備に入りました。その時に、つくづく痛感したのが自分自身の力のなさ···研究会のために必死に骨を折ってくれた先輩諸兄や会員の皆さんへの感謝の気持ちを抱いたことを今でも覚えています。改めて感じたのは、自分の力や技量がなくても情熱と行動さえ起こせば必ず誰かが協力してくれるOBを含めた研究会という組織の素晴らしさでした。

 室蘭周辺の地域において、単体の青年団体でこれだけ歴史のある団体はないはずです。ある先輩が昔、言っていた記憶があります。

たかが輪西、されど輪西

 輪西青年経営研究会万歳!!!

41代目会長:日浅 健

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42代目会長:伊藤 寛司

 輪西青年経営研究会はこれまで数々の歴史を築かれました、諸先輩方また、活動に協力していただいた方々に厚く御礼申し上げます。

 思えば二瓶浩先輩に「いいからちょっと出てこい」と誘われそのまま籍を置くことになったのを思い出します、何が何だかどんな団体で何をしているかもわからず先輩方に言われた事をやり、後ろをくっついてまわっているだけでしたが、みな優しく、時には厳しく色々な事を教えていただきました、会長になったのは確か34歳でした。「地区外で初めての会長だ」と聞かされ大変緊張し毎日のように「何かしなきゃ」と頭を痛めておりました。そんなある日「鉄のイベントをできないか」という話が舞い込んできました。私は快諾し副会長の川原君と内容について色々考え試行錯誤の中考えだしたのがボルトやナットの溶接ブースでした。初めは皆には評判があまり良くなかったのですがイベントの当日供たちが列を作り、そのうち腕に覚えのある大人達までもが集まり大盛況で終えることができました。これがボルタのスタートです。のちに研究会の外部団体「てつのまちぷろじぇくと」として外部の方々との交流を持つ組織を作る事が出来ました。外の風を輪西に吹き入れる事により、新たな意見や発想を取り入れ、この町の次の世代に続く何かを残す事が出来ました。すな!

 企画の段階で「やれる事より、やりたい事を考えよう」と強く心掛け、皆でよく話し合った事が、今の私の糧になっております。

 輪西経営研究会に入会し、本当に良かったと心から感謝しております。俺に出来る事があればいつでも飛んでくるよ。

 ますますこれからの研究会のさらなる飛躍を期待してます。

 諸先輩方、又関係各位の方々におかれましては誠にご協力感謝いたします。これからもご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。

42代目会長:伊藤 寛司

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43代目会長:吉岡 正弘

 自分は研究会に約20年前に入会しました。親も研究会のメンバーだったので親子二代でお世話になりました。研究会は50年以上の歴史がありますがこれは、簡単ではないと思います。先輩方の苦労と努力、心粋が引き継がれて来たからこそ、ここまで続いたのだと思います。

 研究会で先輩からの印象的な話しがあります。お祭りの仕入れをする際に安いからと言って輪西以外で買うな!と言われたことがあります。輪西で商売してる人間が輪西で買わないでどうする!お互い様、助け合いの心を忘れるな!輪西の心意気を無くすな!研究会は商店街の下部組織ではない!研究会会長と商店街理事長は対等である!など50年の歴史に言葉の重みを感じます。

 研究会では毎年会長が替わります。自分43代会長を務めさせて頂きました。この年は記念事業として「輪西の良き時代から現代までの歴史を振り返る」をテーマに講演会を企画しました。講師には研究会の大先輩、木村先輩を招きました。木村先輩が実費で作成した輪西に活気があったころの貴重な映画をお借りして上映しました。木村先輩監修の輪西歴をまとめた資料を配布しました。参加者の中からは懐かしい、こんな時代もあったんですね、などの声も上がる程の大盛況でした。映像の中には今も商店街振興組合に在籍され現役で活躍されている先輩達らしき姿もチラホラ見えましたが…歴史を感じました(笑)

 木村先輩の心使いで後日、映像をコピーして商店街に寄贈させて頂きました。興味のある方は輪西商店街振興組合にお問い合わせ下さい。

 その他にも色々な経験をさせて貰いましたが人生観に大きな影響を与えた組織です。これからも歴史と伝統を大切にし輪西と共に発展していくことを願います。

43代目会長:吉岡 正弘

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44代目会長:谷澤 和重

 研究会現役時の思い出は沢山ありすぎて何を書こうと思った時、自分が会長時代の思い出を振り返ってみました。自分が会長時の時は現役人数が減り始めた時期だと記憶にあります。とにかく諸先輩達には助けていただいて協力をしてもらいました。ワニ祭り、輪西神社のお祭り、そしてねりこみは前年度参加迄はワニの形をした山車でしたが本格的な提燈御輿に作り変えて輪西みこしの会を設立して土田先輩に会長就任を依頼して製作にあたってはいろいろ大変だった記憶があります。

そして忘れてならないのが研究会の研修旅行です。自分自身本当に不注意だったと思います。札幌への研修旅行の2週間くらい前だったと思いますが、朝野球の試合で2塁ベースに滑りこんだ際、左足首がボキッと音がしました。嫌な予感が的中して左足首の骨折をしてしまい研修旅行を断念しようかと思いました。しかし、ある先輩が昼間の研修は松葉杖でも大丈夫だが夜のススキノでの食事会外出時は人出が多く危険なので車椅子をチャーターしてくれると言って研修旅行は実施しました。

 結局、車椅子ではなく松葉杖で夜のススキノを徘徊しました。両側で後輩たちが人と交差する際にはガードしてくれ本当に感謝の気持ちで涙が出てくる思いでした。1泊2日の研修旅行も無事達成出来て参加者全員に心から有難うと心の中で叫んだ記憶を思い出します。研究会卒業の年に会長を任された事も忘れる事が出来ません。

 研究会活動がこれからも末永く続く事を願います。

44代目会長:谷澤 和重

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45代目会長:橋本 慎一

 思い起こせば20数年前、当時23歳だった私は志賀さんで知り合った入江克己先輩に「雪合戦出ない?」と誘われ練習に行きました。練習後、すぐ「Tぼ政」さんで反省会をしました。お酒を一杯頂い瞬間「研究会」への勧誘が始まりました。

 会議(呑み会)·お祭りの手伝いなど、先輩達と接しているいる内に、自分の中でとっても居心地のいい集まりになっていました。

 世間をよくわかっていない私は、会議の後、Iけの先輩から呑みに誘われたにもかかわらず、お金かりて・・・事件

 その他・・・Iけの先輩いろいろと「どーもすみませんでした。」・・・

 程々にやっていた研究会活動も仕事を理由に行かなかったり遅れたり、やめようと思ったことが何度もありました。俺は日の出町だから、そんなに頑張らなくてもいいやと思っていた時期もありました。

 しかしながら、40周年の準備の時に先輩達が一生懸命準備に取り組んでいる姿を見て自分が情けなく思えた時の事を思い出します。先輩に「時間を作ることも技量のうちだ」と言われ何事に対しても視野が広がりました。

 私は T澤先輩を引継ぎ第45代会長として日の出町から輪西青年経営研究会の歴史に自分の名前を刻めた事を誇りに思い「これからは俺が研究会を引っ張る」と強い気持ちでチャンスがあれば何でもやる決意でした。テーマは「輪西に恩返し」でした。

 その年の夏、輪西商店街振興組合事業の最大イベント「わに祭り」の会議に出席した際、長い間わに祭り実行委員長を務めていたIたがき先輩から推薦頂き実行委員長という大役を引継ぎました。当時まだFMびゅーさんがなかったので司会もやりました。

 2日間、天気にも恵まれ、初日には札幌から初のよさこいチーム「平岸天神」も来蘭してものすごい観客にビックリしました。たくさんの先輩達、仲間達に助けて頂き無事に終わり、とっても感動致しました。

 なんといっても一番の思い出は45周年記念講演元駒大苫小牧硬式野球部監督の香田誉士史氏を輪西に呼んだことです。たくさんの方にご指導·ご鞭撻を頂き感謝の気持ちでいっぱいです。

 研究会に入ってたくさんの先輩達と知り合えたことが私の宝です。私はこれからも、研究はもちろんのこと輪西の為にずっと「恩返し」していく気持ちです。これからもよろしくお願い致します。そして現役の皆様、大小関係なく壁にぶつかった時は遠慮なく相談して下さい。研究会OBはみんな優しく迎えてくれます。

45代目会長:橋本 慎一

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46代目会長:前田 欣保

 入会当時の事を思い出してみると、池野弘明先輩に飲み会に誘われ、ビールを一口飲んで「ハイ、入会おめでとう」と言われ、唖然としたのを覚えています。

 入会当初から友達付き合いというわけには行きませんでしたが、様々なイベントを通して徐々に[輪西の水]に慣れていった様な感じでした。

 特に会長をさせて頂いた一年間は様々な経験をさせて頂きました。OBの方々や諸先輩方に助言を頂き、ねりこみ等の人集めなど、現役会員だけでは出来なかったことも多々ありました。

 その度に、輪西の街の結束力や行動力を改めて実感させられましたし、研究会の存在意義も同時に考えさせられました。

 今思うに研究会とは今の時代において数少ない“やりたい事を試せる場”、“失敗してもいい場”ではないでしょうか。失敗を恐れて行動しないよりも、まず行動する。成功すればみんなで笑い、失敗すればそこから学ぶ。それを少し離れて見守ってくれているOBや諸先輩方がいて、助言や協力をしてくれる。意外と?各行事の要になっている。端的にいえば研究会とはそんな会だと今更ながら思います。

 最後になりましたが、輪西の街、諸先輩方に支えられている輪西青年経営研究会の良さを十二分に生かし、更なる発展を期待します。

46代目会長:前田 欣保

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47代目会長:川原 隆幸

 前田前会長からバトンを受けての会長就任でした。当時、私は2004年に研究会が発起人となり立ち上げた任意団体[てつのまちぷろじぇくと]の代表でもあったので、「みんなのサポートがないと務まらない」と、周りに訴えながら、また思われながらのスタートでした。

 この年、例年にない取り組みとして唯一おこなった企画は、輪西町3丁目の社宅跡地をお借りして開催した一日限定のドッグランです。前述の[てつのまちぷろじぇくと]の活動を通して、空き地や空き店舗といったものを活用した他地域のまちづくりを色々目にしていたからか、まちなかにある広々としたスペースがとてもまぶしく見えました。

 実際にやってみると、参加された皆さんが喜んでくれたのは何よりでしたが、私自身の不手際、不注意で苦い経験となりました。

 いま、会長として過ごした1年間を改めて振り返ると、周りに支えられて何とか乗り切れた、かも、の1年でした。

 10数年にわたって経営研究会会員として過ごし、創立40周年、50周年という大きな節目も経験することが出来ました。私自身ここで得たものがこの先活きてくるでしょうし、ここでの出会いが宝となっていくと思います。

 現会員の皆様、それぞれの貴重な時間を割いてエネルギーを注げば、得られるものは大です。ますますの飛躍を期待しております。

47代目会長:川原 隆幸

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48代目会長:北川 大樹

 酒を酌み交わすと、もう会員。あの手この手で気が付けば会費を払って、もう仲間。

輪西青年経営研究会が50年以上の歴史を迎え、半世紀に及ぶ活動の「功績、チャレンジ精神、思いやり」の結晶を支えたOB、現役会員の皆様、そして地域の皆様に感謝致します。

 尚、訳あり会長として見切り発車のままスタート。役員経験の無い私に優しく導いてくれた川ちゃん(川原君)。パワーと行動力で頼りになったハッシー(橋本君)。自分自身が割り箸か?わたあめだらけの須藤君。金魚を弄る子供に笑顔でたしなめるガッキー(中垣内君)。同期で相談、アドバイスしてくれたヨッシー(吉岡君)。他にも記載しきれない数々の会員との思い出、卒業した今も感謝として残っています。

 そして会長となって研究会の凄さが体感できた事、ありがとうございました。緻密さと強引さでまとめてしまう団体力「恐るべし研究会」会員の皆様にエールを送ります。

48代目会長:北川 大樹

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49代目会長:須藤 大介

 私が研究会に入会したのが、2006年の冬だったと思います。当時、日浅さんに「輪西には研究会と言う青年会があるので、輪西に事務所を作るなら入った方が良いよ」と言われ、良く内容も分からず、様子見で懇親会に参加した記憶があります。

 輪西の良いところは、初めて会った人でも身構えることなく、「そうか、そうか」と受け入れてくれるフレンドリーさがあり、当時、常滑から室蘭へ帰ってきたばかりの私は、少々驚きました。

 研究会に入会してからの何年かは「研究会って何だろう?」と思っていたのですが、突然、会長の番が回ってきました。

 会長経験者の皆さんが思うことだと思いますが、初めは色々な事をやりたいと考えるのですが、夏の段取りとイベントで必死に取り組み、秋になると頭の中が真っ白になるような状態で、役を終えた今になって考えると「何も出来なかったな」と思うのですが、会長職はこんな感じなのかもしれません。

 会長を経験して感じたことは、先輩·後輩はあるけれど、フラットな関係で意見が言えて、議論して「やってみろ」と後押ししてくれる仲間意識の高さは、どの街にも負けないものだと思います。

 研究会での交流が街の発展の原動力になっているのは確かです。会長の時、支えていただいた皆様には大変感謝しております。ありがとうございました。

 私はあと数年、現役で研究会にいるのですが、常に新しいことにチャレンジする会であって欲しいです。新しいことをするのは失敗もしますし、苦労も多いのですが、新しい風を取り入れなければ、やがて火が消えてしまいます。

 近年は時が流れるスピードが大変速く、その流れに対応する力を付けなければなりません。研究会は基礎体力を付ける場として、とても良いと思います。

最後に新会員が増えるのを祈りつつ、輪西青営研究会の更なる発展を願っております。

49代目会長:須藤 大介

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50代目会長:中垣内 祐司

 輪西の25名の2代目経営者が地域の振興と親睦を目的として発足した輪西青年経営研究会も、半世紀以上の歴史を迎えることとなりました。ここまで長い歴史を重ねて来られたのも皆様からのご支援ご鞭撻の賜物と心から感謝している次第でございます。

 これから5年、10年とさらに歴史を重ねながら100周年を目指して会が成長していくことを願っています。

 先輩方の熱い思いをこれからも後輩達にどれだけ引継ぎ伝えて行くことが出来るのか、そんな責任を会員一同心より痛感しております。

 会の伝統である「経営者としての自立と自覚を養い、経験と知識を蓄えて一人前の経営者として卒業していくこと」を会員一同しっかりと受け止め、後輩達に伝えて行こうと決意を新たにしたところであります。

 物事を組み立てていく力、あらゆる角度から物事を考えられる想像力、発想の転換から生まれる斬新なアイディア。

 自分自身を高めるような熱い教えを先輩からご指導戴いているこのありがたさを、今度は自分たちが後輩に伝えていかなければなりません。

 これからのもいろんな苦難はあると思いますが、先輩たちの熱いアンハートを後輩達にしっかりと伝え、会を発展させていくことを目指します。今後も先輩の皆様、地域の皆様には熱い叱咤激励を心からお願い申し上げます。

50代目会長:中垣内 祐司

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